シンポジウム「いのちを慈しむ」に参加した その2

松原さんのお話の後、基調講演です。
お二人とも力強い話し方でした。原発の恐ろしさ、およびいのちの大切さを感じることができました。

  「いのちを慈しむ 〜原発を選択しないという生き方〜」
   1.『飯館村酪農家の叫び』
    飯館村酪農家 長谷川健一さん
   2.『貪り(むさぼり)から貧(わかちあい)へ』
    小浜市明通寺住職 中島哲演さん


1.長谷川さんのお話
 長谷川さんは飯館村前田地区の区長をされている。はじめに長谷川さんを取材したニュース映像を5分くらい見せていただき、その後スライド写真を見ながら話していただいた。

・これまでの飯館村は、「までいライフ」という生き方を推進してきた。「までい」とは丁寧に物事を大切にするという意味。日本一美しい村として推薦を受けていた。
・しかし、東京電力福島第一原発の事故のため、牛乳を処分せざるを得なくなってしました。捨てるための牛乳は冷やしておく。せっかく採れた牛乳を腐らせたくないから。
・計画避難地域の牛の移動は禁止されたため、牛も処分しなければならくなった。トラックに乗せようとするが嫌がる牛。出発したトラックに女性は「ごめんね。ごめんね。」と泣きながら追いかけいていた。
・「情けない。どうしてこんなことになったのか?」と長谷川さん。東京電力へ賠償請求していくためにも、長谷川さんたち酪農家は廃業ではなく「休止」とした。

飯館村では、毎時100μシーベルトの針が振り切れる場所もあったが、行政から口止めされた。
・雨どいでは、なんと毎時1ミリシーベルトもあった。近くで子どもが遊んでいる。長谷川さんは「早く避難させろ」と行政に言った。
・3/15 地区のみんなを集めて「表に出るな」「マスクしろ」「外から帰ってきたら体きれいに洗え」「野菜食うな」と指示した。
・3/21 集団避難が始まった(35人の希望者のみ)。残りの人たちは自主避難というかたちで親戚の所へ。しかし気まずくなって、結局飯館村へ戻ってきた人もいた。
京都大学の今中哲二助教が調査に来て「こんなところに人が住んでいるなんて信じられない!」→しかし、村長は「公表してもっらっては困る」。→結局ネットに公表した。→ネット見てる村民は少ないからあまり意味が無い。
・「原発されなければ」と書き置き残して自殺してしまった酪農家は長谷川さんの友人だった。「私がいると足手まといになる」と家族を思い、自殺した102歳の男性もいる。
・今の飯館村は、村中が雑草だらけになっている。しかし、田んぼだけはそんなみっともないことはできない。ということで、被ばくしながら草を刈っている。
・長谷川さんは今、仮設住宅で暮らしている。コミュニティを保つため前田地区の21戸を集めた。
飯館村の女子高生は言う。「もう、私は結婚できない。たとえ結婚できたとしても怖くて子どもは産めない...」

 事故当時の飯館村が、尋常でない状況だったことがわかります。村長や役所の人たちは、村民のいのちよりも、村の存続を第一に考えていたようです。パニックになって冷静な判断ができなかたのでしょう。
 牛を処分しなければならなくなったり、酪農していた人が自殺にまで追いやられたりして、飯館村の人たちの悲しみがよくわかりました。長谷川さんの話を聞いて、すすり泣く声が会場に静かに響いていました。子どもを産むことに恐怖を抱く女子高生など、原発事故は飯館村の人たちの将来の夢や希望を奪ってしまいました。大きな責任があると思います。



2.中島さんのお話

 中島さんは、お寺の住職でありながら、原発設置反対小浜市民の会で活動をされている。参考資料3枚をいただきました。
 ・原発設置反対小浜市民の会 「はとぽっぽ通信」
 ・1983年京都大学での中島さんの講演資料「“核のない社会”望見」
 ・ブッダのことば・感興のことば 引用

・「はとぽっぽ通信」での中島さんのメッセージの題名は、「貪」(むさぼり)から「貧」(わかちあい)へ。どちらの漢字にも「貝」が入っている。貝は貨幣のルーツとなったもの。その貨幣を、独り占めするものととらえるか、皆でわかちあうものととらえるのかが問題である。
・40年前にヒバクシャの体験を聞いたのが運動を始めるきっかけ。そのときすでに6基の原子炉が建設中だった。
・広島や長崎のヒバクシャはある程度市民権をもっているが、地方のヒバクシャは差別や偏見を恐れて隠れるように暮らしてきた。小浜市でもわかっている人だけで30人を超えてきた。
・これまでの40年間、原子炉54基で広島原爆の120万発分の死の灰を作り出してきた。
原発は、47万7千人の被ばく労働者を生んできた。
・2008年に若狭湾原発は、600憶kwの電気を関西電力圏内に送った。原発のある地域で消費された電気は6億kwにすぎない。この数字をどう考えるか?
「これから生まれようと欲するもの」たちへの深い配慮と責任を全うすることが大切ではないか?
・最後に、坂村真民さんの詩「あとから来る者のために」を引用して朗読された

 中島さん自身は、仏教者として活動してきたが、運動家としてのレッテルを貼られているそうです。それだけ人の心を動かす活動をされている証拠なのでしょう。単に「原発は危険だからやめよう!」と叫ぶのではなく、これからやってくるの世代のために、今の人たちが何をすべきか?という視点で問題提起をされているところは、やはり仏教者としてのお話だなあ。と感心しました。
 お二人の講演の後、パネルディスカションがありましたが、帰りのバスの都合により、聞かずに帰らせていただきました。


●今回のシンポジウムは、仏教界にも少なからず影響を与えることでしょう。このようなシンポジウムが各地で開催されていき、いのちを慈しむひとが、だんだんと増えていくと良いと思います。