映画『‘私’を生きる』を観た

本日、土井敏邦監督の『‘私’を生きる』を観ました。

日の丸・君が代強制について考えるというテーマの映画です。
この映画では、3人の先生が出てきます。

1.中学校家庭科の先生(女性)
・卒業式で君が代を歌うときに、「起立」しなかったので、6か月の停職処分を受けた。停職期間中でも、校門まで出勤した。登校してくる生徒にあいさつをされていました。しかし、生徒の反応は冷たい。
・先生の娘さんは、介護の仕事をされている。職場の待遇が良くないので組合を作った。母親の闘う姿を見てきたので、いやなことは我慢するだけでなく、意見は主張しようと思ったから組合を作ったそうです。
・学校で孤立し、追いつめられて自殺しようと思ったこともあった。しかし娘のことを考え、思いとどまった。


2.小学校音楽の先生(女性)
・卒業式に水色のピースリボンをつけて参加したら、それが日の丸・君が代強制反対の意思表示だとみなされ、→式の間、職務に専念していなかったとされ → 訓告処分を受けた。→ その次の年から君が代の「伴奏」を命じられた。
・親の介護のため近い勤務地を希望したら、報復として1時間半も通勤にかかる学校へ異動させられた。ストレスにより胃の数か所から出血するほど追いつめられた。
・国旗を掲げるポールのある屋上から飛び降りで死んでしまうことを考えたこともある。


3.高等学校の校長先生(男性)
・朝の当校時に生徒にあいさつをしたり、部活に参加したりするとてもフレンドリーな校長先生。生徒の名前をほとんど思えている。生徒からは絶大なる人気。
・「基本的人権」「平和主義」、特に「言論の自由」大切さを生徒に教えている。
・東京都教育委員会からの「職員会議における挙手・採決の禁止」という通達に異議を唱えた。→C評価で嘱託員不採用となる→裁判で闘う。


◆感想
・私は、日の丸・君が代強制問題についてあまり関心がありませんでしたが、この映画を観て、日の丸・君が代強制問題について詳しく調べてみようと思いました。
憲法21条では「表現の自由」が保障されているのですが、公務員という立場上、公共性などの理由で制約される仕方のないことだと思います。しかし、国歌斉唱の時に「立たなかった」という理由だけで「6か月間の停職処分」というは、あまりにも重い処罰だと思います。これでは、表現の自由の制約どころでなく、まったく表現の自由を認めていないと思いました。
・確かに、一人が例外的な行動をすると、真似をする人が出てきて、教育の現場が混乱するという「恐れ」が教育委員会にはあるかもしれません。また、特に義務教育では、まだ子どもの判断力が未熟だから、画一的な教育が必要であるという考え方があるのかもしれません。しかし、子どもだって、未熟とはいえ、考えることはできます。君が代の意味をきちんと教えて、それを歌うのか歌わないのか、子ども自身に決めてもらってもよいと思います。その方が、「考える力」が身につくと思います。自分で考えて自分で決めていくことの大切さや、世の中にはいろんな考え方があって良いのだということを教えてあげることも教育なのではないでしょうか。
・この映画に出てくる3人の各先生は、自分の「考え」と「行動」が一致しています。3人が、なんでそこまでして権力と闘うのか?についてこの映画はとてもわかりやく描いてくれています。権力に従わずに闘うことは、相当なストレスがあるでしょうし、エネルギーも沢山使うと思います。それにもかかわらず、‘私’を生きておられる姿勢が素晴らしいと思いました。
・今後、いろんなところで上映会が開催されると思います。権力の側にいる人や、権力と闘っている人、これまで関心の無かった人にも観ていただきたいです。(ちなみに名古屋では、4/17(日)伏見ライフプラザにて10:30より上映会があります。)