●伊藤塾塾長・弁護士 伊藤真さんの話を聞いた

  「一人ひとりを大切に」
   憲法から東日本大震災原発事故を考える〜

  2012年5月3日(祝) 13:00〜14:30
  名古屋市公会堂


 今日は憲法記念日午前中毎日新聞朝日新聞・読売新聞の3紙を読みました。いずれも憲法特集が組まれていました。「議員定数是正」「衆参のねじれ」「9条改正」など憲法に関する問題がたくさんあることを改めて認識しました。


 そして午後は、「憲法施行65周年市民のつどい」にて伊藤先生の講演を聞きました。
 私は昔、伊藤塾の塾生でした。DVDで伊藤先生の憲法講義は何回も拝見しました。「みなさんこんにちはっ!」と明るく元気に始まるスタイルは今日の公演でも健在。懐かしかったです。
 「少数派・弱者と言われる人たちの人権を守るのが憲法という観点から講演されました。以下、印象に残ったお話を過剰書きにします。


1.一人一票になっていない
 参議院において、議員さんを地元から一人送りだそうとするとき、神奈川県では120万票必要だけれど、鳥取県では24万票でよい。1票の重さについて5倍の格差がある。
 しかし、この比較方法では、いま一つピンとこない。他人事である。そこで、「鳥取県の人は1票持っているけど、神奈川県の人は0.2票しか持っていない」と考えると、神奈川県の人は1票未満しか持っていないことがわかり、自分事になる。
 「性別」や「年収」で1票の価値を差別するのが不合理であるのと同様に、このような「住所」による差別は不合理である。
 
→ 私の住む愛知県では、鳥取県民と比べると0.25票しかないです。数字上は4倍の差別を受けていことになります。これは確かに、憲法14条や民主主義の観点から、問題のある状態なのでしょう。
 しかし、4倍の格差があることで、鳥取県民と比べて愛知県民が不利益を被っていることが、正直あまり実感できていないので、すぐに是正すべきとはあまり思えないのです。私の勉強不足や想像力の欠如が原因なのかもしれません。この分野を新聞や本などで、もう少し研究したいと思います。



2.国家緊急権は必要なのか?
 東日本大震災で、政府が迅速な対応ができなかったことを理由として、憲法に国家緊急権の条項を追加すべきとの議論がある(4/27発表の自民党憲法草案など)。
 しかし、迅速な対応ができなかったのは、法律の適切な運用ができなかっただけではないか? 改憲するよりも先に、まず法律の適切な運用や個別法を充実させるべき。
 国家緊急権というものは、緊急事態が起きた時に、権力を集中させ人権保障を停止する根拠を与えてしまう。ワイマール憲法下のヒトラー政権のように濫用のおそれがある。


→ これは仰るとおりだと思います。そもそも憲法の目的は、国家権力を制限して人権を保障するもの。国家緊急権は、この憲法の目的と逆行するものなので、安易に改憲するものではないと思います。



3.平和的生存権の先見性
 憲法の前文2項には、「・・・われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とある。これは日本だけでなく世界中が貧困、飢餓、病気のない社会となって初めて平和になるという趣旨。最近よく言われる「人間の安全保障」の考え方を、憲法の前文は先取りしていたといえる。


→ 伊藤先生は、「この前文2項は、憲法の中でも好きな条文の一つ」とおっしゃっていました。私もこの条文はとても好きです。日本国民だけでなく、世界の人々の平和を目指しているところが素晴らしいです。政治家や偉い人たちは、よく「国益」という言葉を使いますが、この前文2項の存在を知らないのではないかと思います。



4.国民に憲法を守る義務はない
 憲法99条は、憲法尊重擁護義務を規定しているが、その義務は、天皇や大臣、国会議員、裁判官、公務員などにしか課せられていない。本来、国民には憲法を守る義務は無い。むしろ国民は、こうした人たちに憲法を守らせる義務があるだけ。
 よく「権利を持つならば、同時に義務も負う」と言われるが、そんなことは無い。たとえば、お金を貸した場合、貸した人は返しもらう「権利」を持ち、借りた人が返す「義務」を負うのである。貸した人には「義務」はないのである。せいぜい「やさしく取り立てる義務」があるくらい。(笑いが起きる)


→ この部分は、講演の中で特に強調されていた一つでした。4/27に発表された自民党憲法草案の12条には、「国民は、自由、権利には責任、義務が伴うことを自覚し・・・」とあります。この案を批判する意味合いもあったのだと思います。



5.少数派・弱者を守る憲法
 憲法は国家権力を制限して、国民の人権を守るためのものである。憲法は多数派・強者から少数派・弱者を守るためのものである。
 しかし、私たちは、こうした憲法の趣旨をなかなか理解することではできない。なぜなら日本に住むほとんどの人は、多数派・強者に属しているから。少数派・弱者の気持ちはわからないのである。たとえば、私たちは、「日本人」「正社員」「健康な人」といった多数派に属している。
 そこで、憲法を理解するためには、在日の「外国人」が強いられている不自由、「非正規雇用者」の不安、「病気や障害を持っている人」のことを想像する力が重要である。他者への共感が大切。


→ 確かに、日本人のほとんどの人は、多数派・強者の立場にいると思います。だから多くの人は、普段は憲法のことなんて、ほとんど意識していないのだと思います。私も最高裁の判決が新聞に載った時くらいしか、憲法を意識していませんでした。
 しかし、誰でも急に失業したり、災害に遭ったり、病気になったりして、いつ弱者の立場になるかわからないものです。自分が弱者になったときに、初めて憲法にすがって、「助けて下さい」とお願いするのも虫の良い話だと思うので、普段から少数派・弱者の人のことを想像して、憲法によっていかに守っていくかということを考えたいと思います。



6.非常識?な日本国憲法
 他の国の憲法は、自分の国の安全だけを考えている。ところが、日本の憲法は、前文や9条を見ると、世界中の人々・人類の幸福を考えている。こんな壮大なビジョンを掲げており、「非常識」なことのようにも思える。
 しかし、「非常識」と思えるからといって、否定的に考えるべきでない。たとえば、アメリカで奴隷制が盛んな時期に「奴隷制反対!」と主張した人は、「非常識だ。奴隷制が無くなるなずがない」と言われた。ところが、現在、奴隷制はなくなっている。
 そうだとすれば、今「非常識」と思えるようなことも、将来どうなっているかわからない。100年後の「常識」を目指して、未来への方向性を差し示すのが日本国憲法だ。


→ ここで伊藤先生は日本国憲法の素晴らしさを熱く語られました。本日5/3の朝日新聞10面でも日本の憲法を評価する記事が載っていました。65年前に作られていた憲法だけど、多くの人権規定が含まれており、現在でも世界的に最先端の内容になっているという評価です。「押し付けられた憲法」といった否定的な捉え方もありますが、もっと日本の憲法に誇りを持っても良いと思いました。



7.皆さんへの期待
 国民の生活を良くしてくれるようなリーダーを待っているのではなく、自分たちで憲法を理解し、使いこなして、主体的に生きることが大切。


→ 仰るとおりだと思います。憲法12に条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。・・・」と書いてあります。政治家におまかせするのではなく、自分たちの権利は自分たちで守っていくことが大切だと思います。



●理想や夢を、明るく熱く語る伊藤先生の話を聞くと勇気・元気が出ます。とても有意義な時間でした。