●戦争と平和の資料館「ピースあいち」へ行った

 ピースあいちとは、名古屋市名東区にある民間で運営されている資料館です。
 ・愛知県ではどんな空襲の被害があったのか?
 ・戦時下のくらしはどんな様子だったのか?
 ・15年戦争とはどんなものだったのか?
 ・世界の軍備がどのような状況になっているのか?
 ・反核軍縮への取り組みがどのようになされているのか?

 などについて、実物、パネル、映像などでわかりやすく説明してくれています。
 ホームページです → http://www.peace-aichi.com/



 当館を訪問したのは3回目です。今回の目的は、期間限定(2011.12.8〜2012.2.18)の「寄贈品展」を見るためです。一般市民の方から寄贈された、戦争当時の軍服、もんぺ、家族との手紙、黒塗りの教科書、空襲で焼けた硬貨など約150点が展示されていました。
 戦争についてのテレビ番組や本を読むだけでも、ある程度は当時の状況を想像することができますが、こうした実際の現物を見ると、そこに当時の人の思いが込められているようで、より鮮明に想像力が膨らみます。特に印象に残った3点について書きたいと思います。


1.まっさらな予科練の服
 予科練とは、「海軍飛行予科訓練生」の略だそうです。展示されている予科練の服を見た第一印象は、「60年以上も経っているのに、まったく汚れていない。どうしてこんなに奇麗なのだろう?」でした。「これは本物なのか?」と疑ってしましました。
 しかし、解説のパネルを読んでみると、その意味がわかりました。この人には以下の事情があったそうです。

両親の反対を押し切って、15歳で入隊した。しかし、病気になり除隊せざるを得なかった。どうしても予科練への思いを忘れることができずに、昭和30年代に松坂屋に注文して作ってもらった。

 戦争が終わって10年以上も経っている時期に、わざわざ予科練の服を作ってもらったということに驚きました。「同期が出兵していったのに、自分だけ出兵できなかった悔しさ」「お国のために役に立つことができかったもどかしさ」などなど。私の想像をはるかに絶する思いがあったことでしょう。
 戦後の復興のために気持ちを切り替えて、日本人が一丸となって邁進していたのかと思いきや、こうして戦争についての気持ちがまだ残っている人もいたということがよくわかりました。戦争というものが人に与える影響の大きさを思い知りました。



2.兵籍簿と手紙
 校長先生や配属将校からの強い勧めによって、15歳で志願して17歳戦死された青年の「兵籍簿」と「手紙」が展示されていました。
 兵籍簿というのは、履歴書みたいな紙に、その人の軍における経歴が記載されるものです。
 この実物を見てみると、一番上には「昭和18年10月1日 入隊 海軍二等飛行兵ヲ命ズ」と書いてありました。
 そして最後の欄には、「昭和20年5月28日 靖國神社合祀」となっていました。
 たった17歳で履歴が終了してしまっていることに、人の命のはかなさを感じました。戦争さえ無ければ、この青年は、職に就いて、結婚して、子供ができたりして、いろいとな人生を積み重ねていくことができたのに。戦争が、いかに罪深いものであるかを認識させられました。


 また、この青年が両親や弟・妹に送った手紙や、この青年の戦友が、青年の父に送った手紙などもたくさん展示されていました。
 どれも相手を思いやる気持で一杯の、心温まる文章が綴られていました。手紙の最後は、「さようなら」とか「サヤウナラ」という言葉で締めくくられています。
 現代でも、手紙の最後は、さようならで終えることもあると思いますが、当時はもっと重みのある言葉だったのではないかと思います。すなわち、「明日死ぬかも知れない」という状況で書かれた手紙なので、相手に対する最後のメッセージのつもりで書かれたもの。いわば遺書を書く時に近い気持ちが込められていたのではないかと思います。



3.隣組の回覧板

 隣組とは、戦時体制下において、上意下達的な情報伝達や食糧の配給など、さまざまの国民統制の末端を担う組織とのこと。詳しくはこちらを参照ください↓
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%9A%A3%E7%B5%84/

 名古屋市中区納屋町の隣組で配布された回覧板、468点が展示されていました。紙は、かなり茶色くなっていましたが、内容はきちんと読むことができました。昭和15年、16年あたりから物資が不足していて貧しい暮らしになっていったことがよくわかります。 


・たとえば、通帳制の配給になるにあたり、「お米の買い方」という文書が配布されました。「問」「答」という形式、今でいうところのQ&A形式で書かれています。「お米はどうやって買えばよいのですか?」とか「一回でどのくらいの量が買えるのですか?」といった質問にわかりやすく説明されています。
 前者の答えは、「家の一番近くの米屋さんに通帳を持っていて注文する。すると米屋さんが通帳とお米を届けてくれます。」といった内容。
 後者の答えは「一回で10日分購入できる。1日分の量は年齢によって異なる。11歳〜60歳の場合は1日分として330g=2合3勺など」といった内容です。


・また、名古屋市から配布された紙には、わかりやすい川柳が2つ書かれていました。
 「節米は 主婦の腕から 心から!」
 「よく噛んで 一に健康 二に節米!」
 現代において、「節電」はよく言われますが、「節米」なんていう人はあまりいないです。米なんてスーパーへ行けば、いつでも、どれだけでも買うことができると現代人は思っています。しかし、当時のお米は、ものすごく貴重なものだということがわかります。


・一方、東邦ガスからは「ガス節減のお願ひ」の文書が配布されました。「余分な湯を沸かさない」「煮立ったらすぐに火を止める」「時々器具の掃除をすること」などイラスト付きでわかりやすく書かれています。これは現代にも通用する内容です。


・さらに、回覧板を見ていくと、さまざまなものが配給制になっていきました。「豆腐」「油揚げ」「牛・豚肉」「鶏卵」「タオル」「手ぬぐい」など。
 「塩」の場合は特別配給があったようです。漬物の季節になると大量に塩を使うので、通常の配給では足りなくなる。そこで季節限定で特別に配給されたようです。当時の食事の中で、漬物は重要な役割だったことがわかります。


 
●私を含めて日本人はヒロシマナガサキへの原爆投下や終戦記念日のあるには戦争や平和のことをよく考えるのですが、冬はあまり考えない傾向がるように思います。これは、マスコミ報道なども影響しているのでしょう。
 しかし、戦争を起こさないためにも一年中、戦争や平和について考え、行動していくことが大切だと思います。
 そういった意味で、今回のピースあいちの寄贈品展は、戦争と平和について考える機会を与えてくれてとてもありがたいと思いました。
 私の書いた3つの感想以外にも、戦争当時の状況をリアルに伝えてくれる物が、たくさん展示されています。お時間のある方は、来館されてみてはいかがでしょうか。寄贈品展は2/18(土)までです。