高橋哲哉さんの話を聞いた
先日、哲学者の高橋哲哉さんの話を聞きました。
『原発という犠牲のシステム
〜フクシマの犠牲と「人間の責任」を問う』
2011年9月10日(土) 13:30〜16:30
伏見ライフプラザ12階
世の中のさまざまな場面では、誰かが誰かのために犠牲になっている。それで良いのか? これからどうすべきなのか? といった問題提起と提案が高橋さんからありました。具体的にどういうことか箇条書きにしてみます。
1.犠牲のシステムとは?
「あるものの利益が、他のものの生命、尊厳、健康、生活、日常、財産、希望などを犠牲にして生み出され、維持されている。そして、他のものの犠牲なしには、あるものの利益が生み出され、維持されることはない。」このようなシステムを犠牲のシステムと定義する。
→ たとえば、靖国神社や原子力発電所。前者は国家にとっての尊い犠牲として戦死者が美化・正当化された。後者は周辺住民の犠牲(の可能性)が隠されてきた、見えないものにされてきた。
2.原発は犠牲のシステム。そこには4つの犠牲がある。
(1)中央と周辺という構造的な差別
・原子力発電所で過酷事故が発生した場合には、周辺住民に大きな犠牲が生じる。事故が想定されるからこそ、過疎地に立地するのであろう。
・福島県は大きく3つに地域を分けられる。原発のある海岸沿いの東部を「浜通り」、福島市や郡山市のある中部を「中通り」、会津若松市などがある西部を「会津」。中通り地区では、避難指示が出ていない。避難するかどうかは自己責任とされている。
・自主避難するとき、後ろめたい気持ちになる。「逃げるのか」と思われるかもしれないので、子どもは、友達には言わずに転校する。→ 残された人は「ここは、そんなに危ないのか?」と不安になる。
(2)被ばく労働者の存在
・過酷事故が発生しなくても、原子力発電所で働く労働者は被ばくしている。過去に被ばくよる被害(白血病など)につき、労災が認められた人は、10人しかいない。
・堀江邦夫氏のノンフクション『原発ジプシー』の紹介あり
・福島原発の作業員を診察した医師によると、8割が福島県出身とのこと。避難所から通っていた人(被災者)もいる。
・福島原発の作業員で、7月末時点で被ばく線量が100ミリシーベルト超が108人もいる。労働者の使い捨てではないか。
(3)ウランの採掘による被ばく
・カナダやオーストラリアでは、原子力発電の燃料となるウランを採掘している。採掘する労働者が被ばくしているだけでなく、その家族や周辺に住んでいる先住民までも被ばくしている。
(4)放射性廃棄物の最終処分
・日本は放射性廃棄物の最終処分の方法が明確になっていないのに、54基も原発を稼働させていた。いわゆる「トイレのないマンション」
・5/9の報道では、モンゴルに最終処分場を作る計画あり。モンゴルにはウランが150万t以上もあると推定されているので、「原発技術を教えてあげるから、ウランをちょうだい」という意図があるのではないか。しかし、7月にはモンゴル政府が最終処分場の建設を断ってきた。
・こうした海外に処分場を作るという考えも犠牲のシステムの一つといえる。すなわち上記(1)の中央と周辺(都会と田舎)をさらに国家レベルに広げて、日本・アメリカとモンゴルという構造が見える。「経済的な植民地化」と見ることもできる。
3.では、どうすべきか?
・原発を推進する人たちは、上記(1)〜(4)の犠牲を引き受ける覚悟はあるのか?この犠牲の問題をクリアにせずに、推進する資格はないのではないだろうか?
・地震学者である石橋克彦氏の論文を引用。→ 戦前は「軍国主義」、戦後は「原発主義」。両者には共通点がある。
ア)国策で大金をつぎ込んだ
イ)「絶対負けない」「絶対安全」という神話を作りだした。
ウ)異端者を徹底的に排除してきた
エ)嘘の大本営発表を繰り返してきた(ex.レベル4を後になってレベル7に修正)
・「軍国主義」で日本は敗戦し、戦後の「原発主義」により福島の事故が起きた。これは第二の敗戦ともいえる。
→ もう失敗を繰り返してはいけない。犠牲のシステムを延命しようとする動きを阻止する必要がある。
・それぞれの責任を自覚すべきである。
→推進した人だけでなく、原発に反対したけど止められなかった人や、無関心だった人にも、それぞれにおいて責任があると思う。
・弱者の視点に立った政治をしてほしい。今の2大政党制では難しいのではないか? 日本にもドイツのような緑の党が出てこないとダメではないか? 主権者の声で政治を変えていくしかないのではないか?
・「今、10人が溺れているが、8人しかボートに乗ることができない」といった追いつめられた状況ではどうしても犠牲が出てしまう。→ 追いつめられた状況にならないようにすべき。
・「原発の是非を国民投票で決めよう!」という動きもあるが全面的に賛成はできない。脱原発派が勝てば良いが、推進派が勝った場合、原発を押し付けられる地域(犠牲)が出てきてしまうから。→ 住民投票によって地域から脱原発の声を上げていく方法のほうが良いのではないか?
●高橋さんは、弱者の立場に立って話をされていました。新聞報道などの数字データを引用され、具体的なイメージができたので、とてもわかりやすかったです。世の中に「犠牲」が出てしまうことは、ある程度仕方のない事なのかもしれない?と私は思っていました。しかし、原発だけでも多くの人が犠牲に苦しんでいることを聞いて、「犠牲」は一つでも、少しでも無くしていくべきだと思いました。
質問コーナーで高橋さんは、デンマークの陸軍大将であったフリッツ・フォルム氏が考えた「戦争絶滅受合(うけあい)法案」の話をされました。この法案は、戦争になった時に、まず元首が一兵卒として戦場に送り込まれ、次はその男性親族 → 閣僚 → 戦争に反対しなかった国会議員といった順で戦場に送り込まれることが規定されています。そうしておけば戦争は起こらないだろう。ということです。
高橋さんは、この法案の趣旨を、電力会社にも応用しているところが面白いと思いました。原発事故が起こった時に、真っ先に事故現場で対応すべきなのは、電力会社の社長であり → 官僚 → 御用学者 といった順にしておけば良い。「誰が犠牲になるのか明確に言わなければ、原発を推進すべきではないのではないか?」と主張されていました。
非常に内容が濃く、考えるヒントをいくつもいただいた3時間でした。