沖縄の人に対する差別

昨日の記事で書いた、ラミスさん・遠藤さんのトークセッションで、ラミスさんが話された「例え話」について考えてみました。


どういう例え話かといいますと、
【日本がもし100人の小学校だったら】という話です。
『要石:沖縄と憲法9条』のあとがきにも書かれています。(知念ウシさんが考えたイメージだそうです)


  100人の小学生が、民主主義的に決定をする。
  その内容は、
  1人が75個のランドセルを背負い、
  あとの99人が、残りの25個のランドセルを背負う。

  という決定です。

  75個を背負っている1人が、
  「重いから、ちょっと手伝ってくれよ。」と言うと、


  99人が、
  「私たちは、ランドセル反対運動をやっているので、
  それが実現するまで待ってくれよ。」
  「自分の苦しみを人に押し付けることは、良くないことだよ。」
  と言います。


  しかし、
  その99人は、実際にあまり反対運動はしていない。
  なぜなら、
  75個を1人に持たせており、自分たちは重みをあまり感じないから。


1人 = 沖縄県
75個のランドセル = 沖縄にある米軍基地
99人 = 沖縄以外の都道府県
25個のランドセル = 沖縄以外にある在日米軍基地

というとこです。
これは、
「日本の国土の0.6%沖縄県75%在日米軍基地が集中している」という統計を分かりすく例えた話です。




<上のたとえ話を聞いて考えたこと>
米軍基地の無い都道府県はたくさんあります。
そこに住む人たちは、沖縄県の人たちの負担のおかげで
「米軍に日本を守ってもらっている。」という安心感を得られています。
(有事に米軍が、本当に日本を守ってくれるかどうかは別として)


昨年放送された、
NHKスペシャル 日米安保50年 第2回「沖縄“平和”の代償」
では、中曽根元首相が、以下のようなコメントをされていました。
「・・・大変申し訳ない気持ちがありますけれども、しかしアジアの安定、日本の安全というものを考えると、沖縄の皆さんに我慢して、お世話になっていく以外には、今のところは無いわけですね。そういう意味において沖縄の皆さんに安心して、また満足がいけるような情勢で、米軍の駐留を続けていくのが「政治の要諦」だろうと思うんです。・・・」


沖縄の人に負担してもらうのは、政治的に「仕方のないこと」なのかもしれませんが、沖縄の人にとっては、騒音問題、土地問題など我慢の限界にきていると思います。
また、こうした扱いは「差別」にあたると思います。
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では、その「差別」をなくすために、何をしたらよいか?
そもそも、ランドセルを廃止=日米安保条約解消・基地返還ができればよいのです。
しかし、すぐにできそうもない。その間、沖縄の人たちの負担は続きます。
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よって、まずは実現可能性の高いことからやっていくべきでしょう。
すなわち、ランドセルを他の99人に持ってもらう=基地を各都道府県に移転することでしょう。
ラミスさんも仰っていましたが、佐賀空港や、茨城空港松本空港赤字で、滑走路も余っているそうです。
こうした所に米軍基地を移転する方法もひとつの可能性として考えてみるべきだと思います。
もちろん、各地で反対運動は起きるでしょう。
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しかし、日本の安全保障について、安心・安全を享受するたけでなく、
それらを享受するために負わなければならない負担についてもセットにして、日本国民で議論していくべきだと思います。
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私は、沖縄へ行ったことがないです。
テレビの映像などで、想像しているだけです。
しかし、沖縄の人たちに負担をしてもらっていることは心苦しく思っています。
・実際の騒音は、どのくらいなのか?
・実際の訓練は、市民の生活とどのくらい近くで行われているのか?
など、知りたいと思いますので、近いうちに沖縄へ行く予定です。